基本的には楽しい小学校ライフを送っている様子の息子だけど、
クラスの1人が嫌がらせのようなことをしてくるので
若干不穏な空気がある。
内容としては、
2.鬼ごっこの時いつも息子を鬼に指名してくる(なぜかその子が決める)
3.度を超えた暴言を吐いてくる
4.首を締めたり叩いてくる
などだんだんエスカレートしているように感じる。
特に1に関しては「どこからそんな発想が?」と不思議でならない。
それとも世の小学生男子は、
「おーい磯野!野球しようぜ!」

のノリで「殴り合いしようぜ!」とでも言うのか???
今のところ私は「精神的に未熟な者の粗相」程度に認識しているけど、
これ以上エスカレートするならこれをいじめと認識し、
然るべき対処を取ろうと思っている。
まぁ総じて小学生男児とは愚かなものであると私は知っている。
かれこれ30年前から知っている。
私が小1の時、隣の席だった青木くんは、
「注射する」とかなんとか言って、尖った鉛筆を注射器のように
私の腕に刺そうとしてきた←
一番前の席だったので先生が見つけて
「アンタ!なにしてんの!!」
と怒ってくれて事なきを得たけれど。
当時めちゃくちゃ嫌だったけど、かと言ってあれは決していじめや
いやがらせなどではなかったし、別に青木のことも嫌いではなかった。(もはや呼び捨て)
彼はただただ何も考えていないだけだった。(厄介すぎる)
なので、小学生男児がこちらの予想を遥かに超える、おバカな発想を思いつくのは世の常である。
もちろん子供同士のことなので、息子の一方的な話しか聞いてないから
実は息子の勘違いなどでは?と思う方もいると思う。
この子に関しては入学当初から警戒していたので
個人面談の際には担任にも相談済みで
「あぁ~……そうなんですよね、決して悪い子じゃないんですけど…」
という感じで一旦曖昧に流された。
度重なる嫌がらせも担任は把握していて(息子がその都度先生に言うので)

息子くんは悪くない
と担任もはっきり言っていて、
一度その子の振り回したペンか何かが目に当たって担任から謝罪の電話がきたことがある。(先生って大変)(相手側からは何も無し)
幸い目は何事もなかったけど、万が一にも後遺症など残ってしまうような自体になっていたらと思うとゾッとする。
おどりゃええ加減にせぇよしばき回すぞという気持ちは誰だってそう、あると思う。
夫は、当該の男児(仮にKとしよう)の言動には注視しているが、
根本的に我々はスタンスが違う。

時には反撃も必要
に対し、

やり返すのはあかん
といった感じ。
幼稚園時代も同じようなことで言い争った私達。
☆詳しくはこの記事

この記事の中では、いじめっ子の脳内では何が起きているかに加え、
私の甥っ子が小学生の頃、クラスのガキ大将にノートを破られたのでお返しに武力行使で尊厳を取り戻したエピソードを紹介している。
多分賛否両論あるので一度読んでみてほしい。
私は「時には戦わねばならない時がある」派なのだけと、
夫はそうではない。
なのでマリーナ・アブラモヴィッチが行ったリズム0という実験を教えて差し上げた。
「抵抗しない」実験
実験の内容はこうである。

マリーナはギャラリーのテーブルの上に72個の道具を並べ、
自身は「物」として6時間立ち尽くした。
ルールはただ一つ、
「観客はこれらの道具を使って、私の体に何をしてもいい。すべての責任は私にある」
というもの。
ちなみに72個の道具というのは、
花、羽、パンといった「癒やし」のものから、
ナイフ、鎖、剃刀、そして装填された銃まで。
最初の3時間は、穏やかだった。
観客は彼女に花を贈り、ハグをし、優しく接していたのだけれど
次第に彼女が
「絶対に反撃しない」
と確信してきてから空気は一変しする。
観客は彼女の服を切り裂き、肌に刃物を立て始めた。
ある男は彼女の喉元を切りつけ、その血を啜り、
最後には、装填された銃を彼女の頭に突きつけ、指をトリガーに押し当てる者まで現れた。
6時間が経過し、彼女が動き始めた瞬間、
それまで攻撃していた観客たちは罪悪感と恐怖で顔を伏せ、逃げていった。
というもの。
「いじめは無視していればそのうち飽きる」
はたして本当にそうだろうか?
有名なスタンフォード監獄実験などもそうだし、
このように
という心理は、心理学や社会学の分野でも多くの実験・研究で裏付けられている。
「相手が反撃してこない」
あるいは「責任が自分に及ばない」と分かったとき、
人間のブレーキは驚くほど簡単に外れるのである。
いじめや虐待において、被害者が「耐える」「怒らない」ことは、
決して最善ではない。
むしろ、加害者側に対して

これ以上の攻撃をしても、あなたに不利益(反撃や処罰)は起きませんよ
というゴーサインとして機能してしまう。
人間には、相手の反応を見て自分の行動を調整する生存本能があるのだ。
相手が無抵抗だと、
加害者の脳内では攻撃のブレーキを踏むタイミングが見失われ、
集団心理や自己正当化によって破滅的なレベルまでエスカレートしてしまう。
最近あった二つのニュース、元交際相手の大学生を集団リンチした男女や、橋から女子高生を落とした女達などもそれに近いものを感じる。
ちなみに、私がここで言う「抵抗」は
「やめてよ!」などの言葉だけのものではない。それは抵抗とは呼ばない。
武力行使、もしくは精神的に相手に同程度のペナルティを負わせるなど、
傷つけられた己の尊厳を取り戻すためにする行動
を「抵抗」と定義している。(私の中では)
攻撃をやめさせる最も良い方法は、
相手に「コスパが悪い」と思わせることである。
以前書いたように、いじめをする人間には脳内快楽物質が出ていて、
それがつまりどういうことかと言うと「楽しくてやめられない」のだ。
そこでスルーしたり、フリー素材のサンドバッグのように事なかれ主義対応をしてしまうと誤った相手に成功体験を植え付けてしまう。
つまり、

この人に嫌がらせをすると、自分にとってめちゃくちゃ面倒なことになる
=コスパが悪い
と思わせること。
だから子どもに限らず私達大人も抵抗はやめてはいけないなぁと。
「これくらいならまだ耐えれるか…」と受け入れた後は、
次はもっと耐え難いなにかが待っている。
と、色々書いたけど私はこの出来事さえも息子にとってプラスになると思っているし、
あくまでKくんの絡み方は、いじめというよりも
「ちょっかい」の距離感がバグっているのではないかと思っている。
以前は遊んでいたけど、最近は息子がKくんを避けて、
他の子と遊んでいるらしい。
が、嫌がらせをしてくる……
う~ん、何なんだろう。
相手が嫌がっていることが上手く読み取れないために起こる認知のバグなのかなぁ。
多分成長の過程で起きる摩擦なんだと思うけど。(お互いに)
しかし、一方でKくん自身も、「自分が悪いことをしている」という自覚は持っているようなので
(「先生に言ったらあかん」などと言ってくる)
息子がここで反撃することができれば、
それがKくんの振る舞いを正当化しない意思表示になり、
この先のKくんにとっても、息子にとっても良い経験になるのではないか。
(他所のこどもの教育まで口出すつもりはないけど
超ポジティブに捉えたらそんな感じ←)
しかし、

反撃したほうが良くない?

嫌。そしたら僕まで先生に怒られるもん

怒られてもいいよ

嫌や。僕がやることは無視して先生に言うだけ
と言った具合である。やれやれ。
もちろんこういう冷静なところが息子の良いところでもあるのだが、
親の私からしたら「ここらで一発やり返さないとさらにエスカレートするのでは…」とヤキモキしてしまう。
人間関係は、実践でしか学べない。
私が出ていって、Kくんを捕まえ

いっつも息子を鬼にするんやってねぇ~
足腰鍛えられて感謝やわぁ~かんにんえ~
殴り合いの遊びってどんなんか見せてくれる~?
などと京都風嫌味を言うのは簡単である(伝わらん←)
でもそれは最終手段にとっておこう(取るな)
あ、人間関係やいじめに関してはこの記事もぜひ


ちょうど来週参観日があるのでちょっと観察してきます(意味深)
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