マッコトこれがルッキズムの奴隷人生

容姿に関するコンプレックスは、語っても語りつくせない。

最初に「パーツ」に違和感を持ったのは幼稚園の頃。

好きな男の子がいたのだけど、
ある時その子が私に向かって「細い目」と言って笑った。

近くにいた先生がすかさず、

「なんでそんなこと言うの!! 可愛い目だよね」
と言ってその男の子を𠮟ってくれた。

が、私を庇ったその一言こそが最も私を傷付けた、なんて
先生は思ってもいなかっただろう。

 

それまで私の中に「細い目=悪」という認識はなく
「細い目」と言われたことに対してちっとも傷付いていなかった。

が、先生がそう言ったことで

「あ、これは傷付くような酷い言葉なのか」と初めて思った。

とてもいい先生だったのに、30年経った今、こんなことを不特定多数に向けて
ネチネチ書かれているなんて気の毒でならない。

大人は良かれと思って言った言葉も
子どもは180度違った受け取り方をするのだから、
本当に子育ては難しい。

 

 

「可愛い子」ではない幼少期

物心ついたころから、父親には
「チビブー」というあだ名をつけられていた。
チビでデブという意味で、もちろん父親は愛称として呼んでいたけど

チビなのはともかく、
デブなのは完全に親のせいだろ。←

 

当時は
「なんか嫌だけどとりあえず笑っとくか」
程度の違和感だったが

大人になってからもザラっとしたその記憶はずっと残っていて
「あぁ、私はあの時傷付いていたんだ」
とやっと理解した。

 

小学生の頃は、兄の剣道の試合を観に行った先で、

見知らぬ他校の小学生男子たち(年上)から
「黒ブタ」と言われたことがある。

黒い服を着ていた私の一挙手一投足を見て

「黒ブタが笑ってる」
「こっち見た」

などとコソコソ言われていたのは全て聞こえていたし、
気付かないフリをする、というのが唯一の抵抗だった。

あの男子たちのことは昨日のことのように思い出せる。

いかにも子どもらしい幼稚な言動で、
お互いのパワーバランスを意識して過激なことを言うのは
よくある集団心理なのだけど、

それでも、
「あ~~~~~~あいつら今頃どっかで野垂れ死んでねぇかな~~~~~~」
と20年以上経った今も、余裕で思っている。

 

そうやって生きている過程で段々と、
容姿に関するこだわりや劣等感が強くなっていった。
(あと84個くらいエピソードあるけど割愛するね)

 

プチ整形

中1の頃アイプチを始めたのは、
「かわいくなりたい」
「おしゃれしたい」
という純粋な気持ちからだった。

その後は人生で二度、埋没整形をした。

一度目は20代。
長年のアイプチにより、瞼が伸びてどうにもこうにもいかなくなったので、

 

「どうやら今、品川美容外科で安く二重整形できるらしい」

と専門時代の友達が言った言葉に乗っかって、

同じくアイプチ組だった5,6人で品川美容へ押しかけ
一斉に瞼を二重にした。
(のちにこれは【集団品川事件】と呼ばれる←)

 

余談だが、アイプチは本当に肌に悪い。
長い期間引っ張られ続けた私の瞼はたるみ、
上手く二重が作れなくなっていた上に、若干眼瞼下垂になっていた。

それだけではない。
友達といるときも、彼氏といるときも

常に
「今アイプチ変になってないかな」

と気にせずにはいられないし、
思っているより神経がすり減る。

糸でちゃちゃっと止めたほうがずっと肌にも瞼にも優しい。

なによりメイク時間も短縮されるという合理的理由もある。

海やプールを躊躇することも、彼氏にすっぴんを見せることもためらわなくて済む。

その上費用は数万と10分程度の施術で済み、
一週間もすれば痕はすっかり綺麗になる。

人類史上最も偉大な発明のひとつではないか!

 

はい、ここで急にタイトル回収。

「子どもが整形したいと言ったらどうするか」

私の答えとしては、
「埋没整形なら大歓迎」
※ただし骨を切る系の手術はものすごく慎重に…

 

娘がもし将来アイプチを使って毎朝イライラしていたら、
私は間違いなくプチ整形を視野に入れてはどうかと打診するし、
そのための費用も出してあげる。

整形は自己肯定感とは対極にあるので
やらないで済むならしないほうがいいけれど

同時にコンプレックスは先延ばしにすればするほど根深くなる
ということも身をもって知っているから。
(もちろん無理強いはしない)

 

 

整形反対の夫

夫には埋没整形のことは言っていなかった。
が、結婚して数年、どうにも糸が緩んできたようで、
再度埋没をやり直そうと思い、

私は夫に

「加齢で(あくまで加齢で)線が薄くなってきたから瞼の二重整形をしたい」
と言ってみた。

夫はアンチ整形派だったようで、
「絶対無理!!」
と言われた時、そこはかとない違和感を感じた。

 

なぜなのか。

私は夫の所有物ではないし、私の身体は私のものである。

それなのになぜ、夫は自分の身体の一部かのように
私の瞼に入ったほんの少しの糸をここまで否定してくるのか。
全く理解ができない。

 

夫「自分の嫁が整形するとかほんま嫌やねん」

 

いや……

あなたの嫁、
あなたと出会う前にもう、整形済みだし。

なんなら、あなたと出会った時、
ちょうどダウンタイム中だったし。
(気付いてなかった)

と、喉元まで言葉が出かかったけど、
これを言ってしまうとこの人はきっと精神崩壊するだろうと思ってグッとこらえた。

 

今はただのおじさん(42)だけど、
幼い頃から子役にスカウトされ、
水族館で見知らぬ小学生たちに「ハロー」と言われるレベルに顔の濃い夫には
一生私の気持ちは分からない。

しかしそれは夫が悪いのではない。

なぜなら人はそれぞれ「視野」というものを持っていて
視野の範囲には個人差と限界がある。

どれだけ私が言葉で伝えようと
視野の外にある出来事を理解するのは難しい。

 

が、それはそれ。

一度やると決めたらやる女なので、
夫に宣言しスキップでクリニックに行った。
息子が3歳になる前である。

そう、この知育アカをしている真っ只中の話。

教育について真面目に(時に情緒おかしく)
語っている裏で、

私は二重整形をしていた。

 

 

容姿イジリはもはや軽犯罪

たとえば私は「ブス」と言われても傷付かない。

ブス、と言われたら、「別にブスじゃねーし」と言い返す自信がある。

なぜなら「ブス」に明確な基準はないからだ。

自分がブスじゃ無いと思っていたらそれはブスではない。

だがコンプレックスの場合は違う。

鼻が低い、目が小さい、歯が出ている、顔が大きい、肌が荒れている
など人によって色々あると思うが、
客観的に見た「事実」を指摘されるのは、少々お話が変わる。

 

今まで私の顔面コンプをわざわざ指摘してきたのは、
もれなく全員男だった。
客だったり、職場の先輩だったり、男友達だったり。

女の子は、たとえ思っていても
そういうコミュニケーションの取り方をしない。

 

それに私自身も、相手の男がどんなに嫌なやつでも、
本人に直接容姿のことを指摘したりはしない。

薄毛の人にハゲとは言わないし、
太っている人にデブとも言わないし、
お年を召した人にジジイとも言わない。

 

ではなぜ、一部の男性達はそれを言葉にしてしまうのか。

何故女の体型や容姿について
本人の前で意見を述べなくては気が済まないのか。

 

なんと、それが本当に面白いと思っているのである。

彼らは人の容姿(や体型)を指摘して笑いを取ることが、
大正義であるかのようにズカズカと土足で踏み荒らしてくる。
私の父親もそのタイプ。

決して傷付けようと思って言っているわけではない。
少なくとも私の周りの男性たちはそうだった。
なぜなら彼らと私はとても友好な関係を築いていたから。

ただ一点、本当にウケると思っているのである。
信じられないことに。

そんな時、真っ先にくる感情。

それは、傷付いてると思われたくない。

傷付けられてしまった、という事実すら受け入れ難いのに、
それを相手に知られるなんてもう地獄でしかない。

正解なのは、笑って流すか、冗談で返すか…。

 

でもある時、私はそのどちらもできなかった。

そう、黙り込んだのだ。

何も言えなかった。突然の攻撃に言葉が出なかった。
そしてそのまま、何も言わないことを選んだ。
あからさまにシカトした。
そこからの記憶はもはや無い。

その日の夜、本当に消えてしまいたかった。
人前でコンプレックスを笑いのネタにされたことや、
明るい返しができなかった自分のこと、
気を遣って誰一人笑わなかったことも(いっそ笑ってくれや)

今思い出しても心がざわざわする。
思い出すたびに何度も傷付いてしまう。

 

整形もした、
歯の矯正もした、
ダイエットもした、
エステにも通ったし、
お金も時間もたくさん使った20代。

それでもまだ、顔について色々言われるんだ。

 

果たして彼は、相手に一生恨まれるレベルのリスクを背負ってまで、
その一言を言わなければいけなかったのだろうか。

女であるというだけで、頼んでもいないジャッジの対象になってしまうことが
本当にうんざりだった。

 

 

…と、いうのは20代までの話。
今、私は35歳で、若い頃のように容姿に対する執着はまるでない。

 

そりゃ粗も出てくるし、
「ここいやだなぁ」と思うことはあるし、
「いつまでも若々しくいたい」とも思う。

子どもの授業参観で綺麗なお母さんって思われたい。
という願望もある。
(もはやそれが今美容に対する唯一のモチベーション)

授乳が終わればシミ取りに行く予定ではあるけど、
容姿で頭を抱えるほど悩むということはまずない。

 

「美しくないと己の尊厳を踏みにじられる」

などという病的なまでの強迫観念が、
出産と同時に丸ごと抜け落ちた。

(二重整形のやり直しも毎朝の手間を省くためで
感覚的にはまつエクや、アートメイクの延長)

 

娘は特に女の子なので、容姿で悩む時がくるのだろう。
同じ女なので、他人からのどういう言葉で傷付くのか
たやすく想像できてしんどい。

 

加速するルッキズム

現在、世間的にルッキズムは批判されている。
プラスサイズモデルの出現や、
ミスコンの廃止など、

顔で評価するのはやめよう!と。

でも誰が一体、そんな見せかけの言葉に騙されるのだろう。

 

ミスコンやオーディションなど、
美しさで評価されたい、競いたい
と思っている側の人達を抑えつけたからといって
一体何が変わるのか。

 

私は父親のように、
子どもに変なあだ名をつけたりしなければ、

母のように、
「なんで私の子どもやのに一重で生まれたんやろ」
なんてことも言わない。

だから我が子達がルッキズムに支配されることはない、大丈夫。

そう思っていた。
でも、事態はそんなに簡単ではないようだ。

 

現代社会でルッキズムが加速した原因のひとつは、スマホらしい。
現代人、自分の顔を見すぎ問題。

スマホでいつでも自撮り・他撮りができ、
それらは全て理想通りに加工可能。
それなのに鏡を見れば理想とは程遠い顔の余白……。

さらにインスタやティックトックで美人・イケメンを拝む。

特に何もしていない、ただ流行りの曲に合わせて踊っているだけの
美人・イケメンのコメント欄には
容姿や仕草を絶賛するコメントが何百件とついている。

それを目の当たりにすれば、
「美人・イケメンこそ正義ではないか」
と思ってしまうのはごく自然な流れ。

…と、高須幹也先生(高須クリニック)が言っていて

あぁ、地獄。だが納得。と心底。
オーストラリアみたいに未成年のsns禁止にしてくれないかな。泣

 

現代の子達は

「ルッキズム反対」のはずの世間から、メディアから、
目を強制的にアーモンド形にしてくる加工カメラから、

「これが正解」とでも言うように
「美しさ」を押し付けられて生きている。

自分とはかけ離れた姿を理想だと思い込むのは
なんてしんどい人生だろう。

 

たとえ

「あなた自身があなたを認めていればそれでいいじゃん」

と言われても
山奥で一人で暮らしているわけではないのだから
一切他人の目を気にしないなんて無理。

そもそもそんなことが可能なら
こちとらはなから整形なんてしていないし
歯にマウスピースなんて付けない。

仙人レベルのメンタルを求めるのはやめて頂きたい。

 

 

私のようにならない方法

きっとこれを読んでいる皆さんは思っているはずだ。
特に女の子を子育て中の方は。

 

さいとうみたいになったらどうしよう。

 

結論から言うと、
なるかもしれないし、
ならないかもしれない。

 

だけどたとえなったからと言って、それは我々親が悪いわけではない。
そこは切り離して考えるべきである。

全て教育でどうにかなるなんて、そんなことはない。

 

確かに私の両親はどうしようもなく無神経なところがあるけれど、
別にそれがコンプレックスの原因になったわけではなかった。

可愛い可愛いと育てられていたって、
外の世界に対して承認欲求を発揮する10代に、

容姿に関して誰かに不適切なことを言われたり、
ぞんざいな扱いを受けたら

きっと反動でエグイくらい落ち込んでいたと思う。

 

が、ひとつだけ言えることがある。

最もコンプレックスが強かった20代、
気付けば私は、
上手くいかないことの全てを容姿のせいにしていた。

 

だが実際はそんなことはない。

彼氏に振られるのは
私に人間的魅力が足りないからだし、

仕事が上手くいかなくても
それは私の能力不足に他ならないのに、

「もっと顔面が綺麗になれば上手くいくんじゃないか」
という超謎理論を脳内で展開させる始末。(歪んでる)

ただ自己肯定感が低いのは
もちろんなのだけど、
所詮それは目に見えない、実感しにくいものである。

それよりも分かりやすいのは、
手に職をつけさせたほうが良い。

有名ピアニストのフジコヘミングさんは

容姿のことでずっと辛い扱いを受けてきて

フランスでも差別されていたけど

ピアノを弾いた途端みんなが認めてくれて、

容姿についてアレコレ言う人はいなくなった

と語っていた。

容姿はとてもわかりやすい記号だ。

でもその人に別の魅力があれば

容姿が良かろうが悪かろうが

そこには触れられなくなる。

そういう意味で、私はやはり

顔より中身が大事だと強く思う

結局何かに一生懸命打ち込んでいる人は

自分の顔なんて二の次だし

周りも顔を評価してあれこれ言うことはない。

 

苦手なことが100個あったって、
容姿に自信がなくたって、
これだけはできる!という何かを。

そしてできればそれで、生活できる程度にお金が稼げたら、
もう何よりの自信になる。

(偶然同じ主旨のことをips細胞の山中教授も言っていた)
(ふーん、 山中教授、分かってるじゃん?←)

 

 

「毎日毎日勉強もせんと遊んで化粧ばっかして
あんたなんてなんの価値もない」

これは高校生の頃、母親が私に言った言葉だけど、
全くもってその通りである。

小さい頃からバレエしかしていなくて、
他のことは全部切り捨ててしまった。
辞めたら何も残らなった。

だから私は我が子達にはそんなリスキーな生活はさせないと決めている。
習い事も、趣味も、体験も、たくさんたくさんさせてあげたい。

手に職を。
もしくはそれに繋がるなにかを。

厳しいけれど、ルッキズムに囚われ
「可愛ければ全てうまくいくはず」
なんてのは、
結局他に能力のない怠け者特有の思考なのだ。

 

まとめ

え―・・・(どうしよう)

なんか思ってたより暗くなってしまったぞ←

私は決して美人ではないし凹凸の少ない地味顔だけど、
今の自分の顔は嫌いではない。

そりゃ本音言うと全然まだまだお直ししたいけど、
この顔にそこそこ納得して生きている。

傷ついた経験を反面教師に子育てできているし、
こうしてコラムのネタとしても消化できているし、
なんなら長生きしたいとまで思っているので

どうか引かないでほしい。笑

病んでもないので気を遣わないで下さいネ…☆

 

そうそう、この漫画がとてもおすすめです。

 

 

ルッキズムがテーマなんだけど、
男女問わず色んな立場の人の目線から描かれていて

「なるほど・・・」
「そうきたか・・・」
「確かに・・・」
と感情が忙しい。

我が子にもルッキズムについて考える教科書として
おすすめしたいなぁ。

マガポケというアプリで無料なのでぜひ。

 

みんな忙しいのに
ここまで読んでくれた方ありがとう。

これからも己の人生振り返って、
子育てに反映していこうZ!!

 

この記事を書いた人
さいとう

★インスタフォロワー4万人御礼★
数多の育児書や論文から立証された心理学や
研究結果を子育てに役立て、発信していきます。
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【2024年2月予定】
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