発信者として・親として「これ」だけはしない

子育て中、他人のSNSを見るという
令和の自傷行為

 

「今時LINEなんて使うのはおじさんとおばさんだけ」
若者はLINEではなくインスタのDMでやり取りする。
LINE交換ではなく、インスタの相互フォロー。

らしい。

SNSはもはや名刺代わりであり、
自己PRの場であり、
また、「自分は決して怪しいものではない」ということの証明にもなるのだろう。

 

加えて最近の中高生は、友達の誕生日には自身のインスタストーリーズにて、
【happy birthday】の言葉と共に、その子との写真を載せる、
いわゆる「公開おめでとう」をするらしい。

そして祝われた相手は、さらにそのストーリーをメンションし、
「公開ありがとう」をストーリーにて返すのだ。
一見微笑ましい慣わしに思えるが、こんなにも残酷なことはない。

友達が少なければもちろん、祝われるストーリーの数も少ないだろうし、

「他の子の誕生日は祝ってるのに私の誕生日にはストーリー上げてくれない」
「私は祝ってあげたのにお返しがない」

なんていうありがちなもやもやも生まれることは想像に難くない。地獄かよ。
こんな時代にJKやってなくて心底良かった。

 

 

とかなんとか言いながら、JKどころか35歳の中年(…)である私もまた、
SNSをスクロールする指が止まらない一人。

特にXは見ているだけで辟易するが、X住人同志の戦場の中には
時折、有益な情報が混ざっているのも事実。

それを見つけるたび、報酬系の脳内物質がドバドバ出る。
だから9割見たくない内容でも、アプリを開いてしまう。

 

インスタも例外ではない。

「誰かの私生活を見る」
その範囲は、リアルな知り合いだけでなく、いつの間にか赤の他人にまで及ぶ。

今や指先ひとつで、お互いを全く知らない、離れた土地にいる、一生すれ違う事すらない相手の私生活が見えてしまう。

 

何を買ったか、
どんな家に住んでて、
どんな家族か、
働いてるのか専業主婦なのか、

それはもう、こと細かに。

 

よく考えたらそこまで他人の生活を覗けるツールって狂っているし、
それに興じている自分も可笑しいのではないかと時々思う。

 

友達や「元同級生」レベルの誰か、そして全くの赤の他人の生活を見て、
無意識のうちに自分と比べ、そこに幸せ度や人生のレベルを測るなんて行為は馬鹿げている。

なのに気付けば、ドッと疲れている。

 

例えばこんな瞬間

第一子である息子が産まれた5年前。
同い年の赤ちゃんを育てる人の投稿をよく見ていた。

最初は初めての育児で情報収集の為に見ていた程度だったけど、
とあるキラキラインフルエンサーが同じ時期に出産したことを知った。

彼女のインスタに載ってあるのは大きな家、お洒落で広い子供部屋、ブランドものの子供服に何十万もするベビーカー、赤ちゃん連れのモルディブ旅行……

何より当たり前のようにそれらを実現できる高い生活水準。
それを目の当たりにした次の瞬間、同じものを息子に与えられていない自分に気付く。

 

「このお金持ちの家の子のほうが幸せな人生を送るのではないか?」
何でも与えられて、何不自由なく、きっとお金の事を気にせずやりたいことをさせてあげられるのだろう。
私の息子は私のもとに産まれてきて良かったのだろうか。

そして産後の豆腐メンタルも相まって、親として一気に自信がなくなる。
ごめんね、こんな一般庶民で……。

 

……と、上記のような考えが頭を過ぎった。
わざわざ不幸な思考を自ら生み出していたという点では自傷行為に近い。

きっと、インスタが無ければあんな気持ちになっていなかっただろう。

リアルな知り合いならまだしも、全く知る必要のない他所の家庭の子育て事情、
赤の他人の家庭状況や、経済状況を垣間見るなんて事自体が通常不可能なわけで。

だけどSNSならそれができてしまう。

それらがあくまで生活の一部を切り取っているものだとしても、だ。

 

SNSを見る時間が長い人は幸福度が低い

心理学的にいうと、
「SNSを見る時間が長ければ長いほど自分を不幸だと思い込む」らしい。

何故ならば、マイナス感情は自分と他人を比べる事で生まれやすいから。

 

確かに。
よく考えたら本来、嫉妬なんてする必要はないはずである。

だって、私の人生だって全然悪くない。
きっと己を俯瞰して見たらほとんどの人がそれに気付く。

それなのに、SNSを見ていると

「あれも欲しい」
「私もこれやらなきゃ」
「こっちも可愛い」
「こんなのあったらいいな」

と、自分が持っていないものにばかり気をとられてしまう。

なんて欲深いのだ、人間は。

 

【発信者】になって見えたもの

当時は自分がSNS発信者になるなんて考えてもいなかった。
自分には縁遠い世界だと思っていた。

本当に偶発的に今のアカウントが生まれ、たくさんの方と交流させてもらえるようになったけど、

【育児(知育)アカウント】の危うさは【キラキラインフルエンサー】のそれとはまた違う。

後者はあくまで【自分】がメインだが、育児(知育)アカウントは【子ども】がメイン。

載せる内容の9割は必然的に「子ども」「子育て」になる。
(もちろん人にもよるけど傾向的に)

 

ゆえにこれだけは、と心に決めていることがある。

それは、

【我が子のことを盛らない】

例えば、称賛欲しさに賢く見せる為の演出をしたりだとか、
子どもの経歴を詐称したりだとか、
はたまたインスタに載せる為だけに知育的な取り組みをさせるなど……

「嘘」はつきたくないとかそういう以前に、
子どもからしたら、母親がネットで自分のことを誇張して発信しているなんて……
もはやホラーでしかない。
何よりそういう養育態度は現実の育児にも影響する。

もちろん、育児(知育)アカウント発信者のほとんどはそんなことはしていないし
誰か特定のアカウントを指しているとかそういうことは断じてない。

でも発信していると、その境界線が曖昧になる瞬間は誰しもあると思う。
事実を少し素敵に色付けしてしまいそうになることが、偉そうなことを言いながら私にもあって、

その都度俯瞰して自分を見ること、
「これはどうなんだ」と立ち止まって再確認する作業は今後も忘れないようにしたい。

 

たまに「息子に超キレた」というようなことをストーリーに書くと、

「さいとうさんて怒らない方かと思ってました。安心しました」

と言われることが少なくない。
私は普通に子供にキレるし、嫌味な言い方をしてしまうことも山ほどある。

 

「これは載せてもOK」
「でもこっちの怒鳴り散らかしたエピソードは載せたらドン引きされそうだからやめとこう」

 

などと無意識のうちに私が選別しているからそういった乖離が起こるわけで。(つまり私が悪い)

 

‐SNSに載せているのは全部本当の事。
だけど、全てを載せているわけではない‐

 

かつて私が病んだキラキラインフルエンサーの方だってそうかもしれない、
と思ったらもういたずらに羨望することはなくなった。
誰しもその人だけの地獄を持っている。それが普通なのだ。

 

 

SNS発信で気付けたこと

発信する側になってSNSの裏側の大変さを知った。
いい意味でも悪い意味でも。

前述したように、他人の投稿を見て羨ましく思うことはもうないし、
ましてや我が子を他の子と比べてどーこー思うこともない。

当時なぞに落ち込んでいた、「高級ブランドのベビー服」という、息子本人が別に望んでいないことを引き合いにした私のエゴで、息子を「不幸な子」扱いしてしまったことは非常に愚かだった。

それは我が子に劣等感を植えつけかねない危険な考えだ。

他の誰に何を言われても、私だけはこの子を否定してはいけないのに、この子の生まれた環境を否定してしまうなんて。
当時はちょっとばかし頭が可笑しかった。発信する側になって目が覚めたことのひとつでもある。

一時でも、そんな風に思ってしまった自分が情けない。
息子くんごめんね。本当に、ごめんなさい。

 

改めて、向き合うべきは常に現実であり、目の前の我が子であるべきだ。
画面越しの世界ではなく、目の前にいるこの子が紛れもなくリアル。
SNS発信を続けていくほどにその気持ちが強くなる。
本当に大切な事はネットの世界にはない。

 

 

「親が裕福か貧困かではなく、
親が分け与えた時間の絶対量が少ないと
子供の精神面は十分に養われない」

これはとある有名なIT企業の男性経営者の言葉。

親の心が貧しいことが一番悪影響を与えるんだろう。まさに過去の私!

 

とはいえ、誤解してほしくないのは
SNS発信はめちゃくちゃ好き。
飽き性の私が3年以上続いているのは奇跡に近い。

何よりフォロワーさん達と絡めたり、
我が子について相談したり励まし合ったりすることは
閉鎖的になりがちな核家族育児においてかなり助かっている。

私が発信するだけでなく、フォロワーさんから有益な情報を頂くこともめちゃくちゃ多い。

あとは発信者同志仲良くなったり、リアルで会えたりするのが本当に楽しくて。

汚部屋アカウントのほうではもっとダイレクトに自分のことを発信しているからか
共感してもらえることも多い。
元来友達の少ない私にとって大切な居場所のひとつであることは紛れもない事実。

メタ社がインスタを潰さない限り、私もインスタに生息し続けると思う。
だからこそ、リアルとのバランスが大切なんだけど。

 

もし、過去の私と同じように、友達や見知らぬ誰かの投稿を見て
自分と比べたりして落ち込んだり、時に嫉妬してしまう人がいたら
そんな必要は全くないと伝えたい。

なぜならそれは本来、普通に生きていれば視界に入れる必要のないものだから。
SNSという特殊な環境が見せているだけまやかし。

こんなにも便利で楽しい場であるSNSも、距離感をバグるとあっという間に
自傷行為に変わってしまう。それは悲しい。

 

上手く嗜むということを
がっつりSNS世代の我が子達にも教えていかねば。と思う。

それにはまず、私達から。

 

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この記事を書いた人
さいとう

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