死刑囚に唯一、与えられている自由をご存じでしょうか?
先日、インスタの発信者仲間と集まる機会があった。
セミナー形式の学びあるオフ会で、
SNSの様々な界隈で頑張る方々が100名ほど
集まっていた。
その際、
「さいとうさんのフォロワーさんは賢い人が多いよね」
と、発信者友達が言ったのだけど、
私もフォロワーさんとのやり取りの中で
それを実感することが多い。
アカウントには、属性というものがある。
アカウントによって、フォロワーさんの傾向というものが
異なるのだけど、
知育アカウントと育児アカウントのフォロワーさんの属性は
似ているようで違うし、
同じ「知育」という括りでも、
おうち遊び系、早期教育系、モンテ系……
など属性はアカウントによって微妙に異なる。
私のアカウントは
「論文」「エビデンス」などが主軸であり、
投稿に文字が多めなので、
そもそも活字を読んでくれる人が集まるという特徴もある。
そしてとても民度が高い。
(民度、という言葉が適切かどうかは一旦置いておいて…)
やはり顔の見えないやりとりなので
ネット上には物凄く失礼な人もいる。
が、私が3年間このアカウントをやってきて
「ものすごく失礼な人」という存在に出会ったことがあまりない。
(全くいないとは言ってない←)
ほとんどの方が顔が見えないやりとりにも関わらず
とても丁寧で、ユーモアに溢れていて、
私の知らないことをたくさん教えてくれる。
「私なんかをフォローして下さってていいのだろうか…(震)」
と恐縮してしまうこともあれば、
普段ストーリーなどでバカみたいなことばかり言ってる自分が
恥ずかしくもあるし、
「一体みんなどんな顔してこれ見てくれてるんだろう…」
と不安になる時も多々あり……。
学ぶことにハマった30代
本題はここから。
そんな頭の良い皆様を前にして言うのは躊躇してしまうが、
私はこれまでの人生、とにかく「学ぶこと」を避けてきた。
算数は小学5年生で諦めたし、
英語は中学で諦めたし(英検5級)
商業高校にも関わらず簿記2級のテストだか試験だかは
全く勉強しておらず、0点だった。
0点って存在するの?って感じかもしれないが、する(断言)
「入試じゃ絶対無理。というか勉強したくない」
と中一の頃から思っていたので、
高校受験は入試を避けて推薦でいき、
担当の先生と仲良くなることだけを頑張った簿記は、
0点だったにも関わらず成績は5段階評価中「3」に収まり留年を回避した。(ある意味努力)
進学は美容・ブライダル系の専門学校を選び
唯一得意の小論文で、特待生枠で行った。
このように、勉強をなるべく避け、
「楽をするための努力」だけで
なんやかんやで生きてきてしまったのだけど、
30過ぎて強く思う。
大学に行けば良かった……(超今更)
今なら興味のあることを学ぶ、
勉強する、というものの価値に気付いたが、
当時は
「小学校から大嫌いな勉強を12年間もさせられた上(大してしてない)
なんで大学に行ってまで勉強しなきゃいけないんだ???」
と厨二全開の思考回路炸裂。
しっかり目標と夢を持って専門学校に進む子達に紛れ、
「まだ就職はしたくないな」という怠慢な気持ちから専門学校に入った。
そんな義務教育の敗北を地で行っていたような女なのだけど、
30になった今の私の趣味はと言えば、
「学ぶこと」である。
これには学生時代の私もびっくり。
ひたすら遊んで遊んで恋愛して加藤ミリヤを聴いていた20代を経て、
今思うことは
「意外と勉強のほうが面白い」
人間関係にごたごたは付き物だけど、
経験した知識や学びは裏切らない。
きっかけ
子どもを産んでから読み始めた教育に関する文献、
それをアウトプットするためにnoteを始めたのがきっかけだった。
(note=無料ブログサイト)
さらにそれをインスタで発信し始めてからは
ますますのめり込んで現在に至る。
もともと書くことが好きだったのもあり、
ひたすらインプットとアウトプットを繰り返しているわけだけど
飽き性の私が3年も続けているのは奇跡に近い。
そしてインスタから派生して、
他にも色んな「勉強」することが好きになった。
そもそも勉強とは?
「勉強」と聞くと学校で教わるような
5教科を思い浮かべるが、決してそうではない。
齋藤孝先生曰く、大人の勉強には2種類あって
2つめは、教養や趣味を深堀りするための勉強
1つめの勉強は、私で言うと
マーケティングやライティングだったり
投資や資産形成などお金の知識について。が多い。
2つ目は、趣味の心理学・犯罪心理学や芸術について。
(ちなみに知育についての勉強はそのどちらにも属する)
最近はモネ展に行くにあたって
印象派やその時代の画家たちについて調べたらかなり面白くて
「画家は変な人が多いなぁ」と思ったことから
→調べたらめっちゃ自殺してるやん
→なぜ偉大な文豪たちは自ら死を選ぶのか
→どうやら強すぎる創造性が原因のひとつ
→創造性について深ぼる
…みたいな感じでひたすら興味のあることを
深ぼっていくのが楽しい。
そう、本来学びは楽しいものである。
これに早く気付いていれば……。
どうして子供の頃の私は、知識の構築を諦めてしまったのか……。
ここを言語化して突き詰めることが、息子を将来勉強嫌いにさせないための
第一歩な気がする。
あ、ちなみに創造性についてはとても面白いドキュメンタリー映画を観たのでまた今度ご紹介させて下さい。
大人が勉強する3つのメリット
思うに、
好きなこと・興味があることだから勉強する、
それだけではない。
意識が高いからとか、
キラキラしたいから、とかでもない。
こわいから、不安だから勉強するのだ。
案外突き詰めると原動力はネガティブから。ということも多い。
日本の将来が不安だから、お金の勉強をする、
いざとなったら移住できる国はないかと色んな国の文化や衣食住を調べる。
など、知識をつけると安心する。
「分からない」という状況に最も恐怖を感じてしまうけど
ひとつひとつ勉強していくと
「恐れるに足りぬわ(どや顔)」
という感情になれる。
それは何に対してもそう。
つまり、最もコスパが良くて直接的な効果のある
ストレス解消法でもあるわけだ。
「学びは人を選ばない」ことの凄さ
死刑囚にさえ与えられている自由、それが「勉強すること」
受刑者で、「刑務所に入って初めてこんなに勉強した」
という人はとても多いらしい。
資格を取ったり、海外では服役中に弁護士になったという人もいるし
中には本を出版する犯罪者もいる。
永山基準のきっかけになった永山則夫元死刑囚は、
読み書きすらできなかったにも関わらず、
死刑執行までの28年間、獄中の中で独学で様々なことを学び、
最終的に新日本文学賞まで受賞している。
永山のやったことは到底許されることではないし、
参考 永山則夫 – Wikipedia
文学賞を与えるって正気か?
という気持ちはあるが、それは一旦置いといて。
身体的・精神的自由が得られない環境だからこそ、
知識を得るという行為によって世界を広げようという感覚
それは理解できる。
また、ろくに反省もせず刑務所に入った加害者が、
受刑中に本を読み(やることがないので基本本を読むらしい)
知見を広げたことで自分の罪の重さや、
被害者やその家族の辛さに気付く、という話も決して珍しくない。
そう思うと、学びや読書より偉大なものってこの世に存在するのだろうか。
そこから一歩も動けなくても、
どんな状況でも、学び続けるということで
自由になれてしまう。
牢獄で死を待つだけの人間の精神を正常に保ち、かつ突き動かすのだから
知識欲というのは日本三大欲求にねじ込んでも差し支えないのではないか。
大人の勉強メリット:知的興奮を覚える
一説によると勉強は幸福体質を作るらしい。
知的興奮が直接幸福に結びつくのだ。
たとえば、教養があれば些細なニュースにも知的興奮を覚える。
自分の持ってる知識と新しい発見が結びつくことは単純にとても面白い。
しかしそもそも知らないことが多ければ(つまり教養がなければ)
同じニュースを見ても「ふーん」で素通りしてしまう。
これの繰り返しで少しずつ、人生の厚みが変わる。
これまで私はどれだけの出来事を
「ふーん」で済ませてきてしまったのだろうか……。
大人の勉強メリット:いつの間にかスキルになっている
スキルのための勉強でなくとも、
たとえ趣味の学びであっても、
いつの間にかそれがスキルになっていることはよくあることである。
人生はやってみないと分からない。
そんな時邪魔をするのが、
・他人にどう思われるか不安
という感情なのだけど、
勉強はそんなこと関係ない。
いつ、なにを、学んでも許される。
学んだことはnoteやブログ、インスタで発信しても良いし、
それがまた別の学びに繋がると思う。
私の場合、もともと最初は趣味で始めたインスタだったが
色々な、特にそれまでやってこなかった実践的なことを身に付けることができた。
もしいざどこかの会社で働こうと思った時、面接で語れるレベルには。
なのでもし、インスタじゃなくても
noteでもアメブロでもTikTokでも、
「発信してみたい」と思う方がいたら
ぜひおすすめしたい。
「稼げる!」とか、「フォロワー何人!」とか
そういう表面的な些細なことではなく、
たとえば動画一本作るだけでもとても多くの学びを得るはずだ。
冒頭のオフ会では、「自撮り講座」という
自撮りを完璧にするための講座(そのまま)に
25万円払ったという方がいた。
「街中で自撮りをすることに抵抗感や恥ずかしさがなくなった」
と、大変満足されていたのが素敵だった。
世の中にはまだまだ私の知らない色々な「勉強」があるんだなと。
もしかしたらみんなが持っている情報や、
とりとめもないただの趣味だと思い込んでるものも
誰かにとったら大変価値のある情報かもしれない。
いつなにがスキルになるか分からないので
常にアンテナを張っておくことも大事。
大人の勉強メリット:価値観が固定されない
世の中には様々な価値観を持っている人がいて、
その為衝突が度々起こる。(Xでよく見る)
異なる価値観の意見と出会った時、
「私が正しい!この意見は間違っている」
そう思うことはとても苦しい。
自分の意見は持った上で、
「そんな意見もあるんだな」
「この人がそう考える背景はなんだろう」
と需要できるかどうか。
つまり物事に対する視野が広いかどうかはかなり重要な要素である。
受け取る側の受け皿が大きければ、
価値観の違いは発見と学びに変わる。
そしてそれは、教養と知識の差でもある。
まとめ
美容が生きるモチベだった20代を経て、
今の生きるモチベは「勉強」である。
どこまでいっても打倒すべきは弱い自分、サボってしまう自分
ということに気が付けた。
結局何が言いたいかというと、
学びの多さは人間力に直結するということ。
もし将来子どもに
「なぜ勉強しないといけないのか」
と聞かれた際には
このコラムの内容をかみ砕いて説明しようと思う。
(ウザい親すぎる←)
(もちろん、職業選択の幅が広がるなどは大前提として)
賢い人は優しい。
教養の深い人は謙虚。
それは身近な人を見ていても実感する。
その逆もまたしかり。
私はまだまだ偉そうなことを言える領域に達していない。
エゴにまみれているし、
些細な一瞬に心を乱されてしまうけど、
長い人生をかけてそんな賢い人になりたいと思っている。
みんなの周りにいる「賢い人」はどうだろう?
どんな人が思い浮かぶかな。
それにしてもこの精神、10代の頃に目覚めていたら
きっと人生変わっていたのに……。(20年遅かった)
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