IQを高めるよりも、根性を鍛える教育を私は推したい
「水泳行きたくない。辞めたい」
それを言われるたびに心の中がざわざわする。
我が子の「習い事辞めたい」に対してこちらが取るべき選択は基本二択。
・続けさせるか
・辞めさせるか
しかし、その前段階、内心「やめてほしくない」と思っている時、
親の脳内は「今何て返すのが正解か?」でフル稼働している。
「ダメ! 今辞めたらもったいない」
と断固拒否の姿勢を貫くか、
「そっか、そういう時もあるね」
とまず共感を取るか
「でも前より泳げるようになってすごいね」
とポジティブ方向に持っていくか……。
あとは
【あえて軽く笑い飛ばす】
【ご褒美で釣る】
【鼓舞する】
など方法は多岐に渡るけど、
ぶっちゃけどれが正解かは子どものタイプによるので
いつも何を言うべきか悩みどころだった。
息子は4歳0ヵ月からスイミングを始めた。
私の思惑としては
・全身運動できる
・泳げるようになるとのちのち楽
・水への恐怖心を克服してほしい
などがあって、中でも肺を強くすることに関しては、もはや使命感のように思っていた。
というのも、息子は肺炎になったことがあるのだけど、
一度肺炎になったら数年経っても(下手すると大人になっても)
激しい運動をした際には息苦しさが着いて回ると……。
あの羽生くんも肺が弱く、そのために水泳をしていたわけだし、
将来何のスポーツをするにしても肺は使うのだから
私の中で水泳はマストだった。
と言っても決して無理矢理ぶち込んだわけではなく、
まずは夏休みに3日間の体験に行って
→息子の意思を確認した上で始めたスイミング。
意外すぎるほどノリノリで体験を終え、
「早くまた水泳行きたい」と言って帰路に着いた息子が
いざ通い始めると早々に
水泳行きたくない
と言い出すのに時間はかからなかった。
いや早すぎだろ、と思ったし、
(確か通い始めて2,3回目くらいにはもう言っていた気がする。)
何より最低半年契約なので半年だけでも続けてもらわないと
金ドブになってしまう。
という思いからあの手この手で息子のやる気を引き出そうとした。
が、考えてみれば当然で。
飛び込みも、10秒顔付けも、何もかもが初めて。
「初めて」が苦手な息子にとったらなかなかにストレスな状況だったと思う。
それでも、行く前は「嫌だ」と言いつつ
いざ行く時間になったら「早く出よう」と言うし、
レッスン中も泣いたりすることなく真面目にやっていた。
水への恐怖心がなくなったら慣れるだろう
と安易に考えていたけれど、息子の行き渋りはその後1年間続いた。
(途中骨折して2か月ほど休んだので実質10カ月)
習い事を渋る息子への声掛け
こういう時、他の親御さんならどうするだろう。
①子どもが嫌がっているならさっさと辞めさせたほうがいい
派の人もいれば
②辞めグセがつくから続けさせる
という人もいるだろうし、
はたまた
③「じゃあ〇〇ができるようになったら辞めよう」
と子どもと相談してゴールを決める人もいるだろう。
今はおそらく①の風潮が強いように思う。
息子は、例えばポジティブな声掛け
「きっとできるよ」とか「大丈夫」にも拒否反応を起こす。
なぜなら誰よりも失敗が怖いので。
「できるよ」と言っても
即座に「できないもん!!」と返ってくる。
瞬時に繰り出されるそのカウンターは井上尚弥(ボクシング)の左フックのように鮮やかである。
「できないっっっ!!怒」
なので
失敗してもいい。できなくてもいい。挑戦するだけですごい
と最初から「失敗してもいいよ」という雰囲気を醸し出すようにしていた。
若干効果あった。(若干)
ご褒美で釣るのはありかなしか
はい、白状します。
めちゃくちゃご褒美で釣ってました。
スイミングの帰りにスーパーに寄って
息子の食べたいおやつをひとつ買うというものだけど
「ご褒美」は「報酬」をモチベーションとした外発的動機付けなので、
自らのやる気(内発的動機)を殺してしまうと言われてる。
詳しくはこのブログ
だからこの方法はできればとりたくなかった。
……が。チョマテヨと。
そもそも息子、
スイミングに関して内発的動機なくね???
最初からやる気がないのだから、内発的動機もクソもなくね????
やる気がない子ども相手に
「やる気がなくなったらどうしよう……」
と気にするなんて、もはやギャグかな?
もともとねーっつーのッッ!(ヤケクソ)
思う存分ご褒美制度を取り入れよう
と、これに関しては吹っ切れたわけであります。
そしてご褒美はそこそこ効果があった。
が、いよいよ辞めさせる決意
そんな風にあの手この手で続けさせてきた水泳。
つわりで吐き気MAXだろうが体調不良だろうが毎回見学に行ったのは、
何より息子の成長がとても実感できたから。
顔に水がかかるだけでも嫌がっていたのに
もう10秒も潜れるようになってる。
最初は飛び込むのが怖くてコーチに抱き止めてもらっていたのに、
いつの間にか一人で飛び込めるようになってる……。
そんな感動の連続で、
「できた」が可視化されるたびに本当に嬉しかった。
息子も上手くいった日は上機嫌で、
お風呂で何度も顔付けを見せてくれた。
息子くん、前はこんなことできんかったよね~
とドヤ顔で得意げになったりしていた。
しかしその後、遂に私も本気で「辞めさせよう」と思った出来事が。
あるスイミングの前日、息子が寝る前に
明日の水泳こわい……
と言い出した。
これ自体はいつものことなのだが、その日はシクシク泣き出した。
※スイミングに限らず息子は嫌なことを「こわい」と表現する。決して鬼コーチとかではない。むしろ超優しい。
今まで「行きたくない」と言っても、泣いたことはなかったのに。
息子が泣いているのを見た瞬間、私の心も折れてしまった。
これまで「いつか【スイミングしてて良かった】と思ってくれる時がくる」
と思ってなんとか続けるよう試行錯誤してきたけど、全部所詮親のエゴに過ぎない。
これで息子の心が壊れてしまったらどうしよう。そんなことになったら取り返しがつかない。
泣くほど嫌なのだからもう辞めさせよう……可哀想すぎる。
よし、分かった。もう辞めよう。明日パパに言おう
スイミングを続けることは夫の意向でもあったので、夫に息子の様子を報告。
しかし案の定というか夫は断固拒否。
夫とのLINE↓
俺が息子と話すわ
はぁ……
私がこれまで息子に対して何かを強制したことは、
2歳の時公文を無理にさせてしまって以来なかった。
(合わな過ぎてベビー公文の時点で辞めた)
基本的に息子の好きな事をサポートしてきたし、
興味のないことや嫌なことは無理強いしないというスタイルを貫いていた。
乳幼児期の子どもにとってそれが最も大切なことだと思っていたし、
もちろん今も思っている。
【意思に反することをさせた】のは今回のスイミングが初めてで、
それに対して常に後ろめたさを持っていた。
今時、どの育児情報も育児書も、
「子どもの好きなことをとことんさせる」
「嫌なことを強制しても意味がない」
という言葉がわんさか出てくる。
「スイミングで息子の心が壊れてしまったらどうしよう」
そんな強迫観念から、いつの間にか息子をガラス細工のように扱っていたのだ。
しかしそれこそが思い込みだったと気付かされることになる。
知育嫌いの夫の言葉で目が覚めた
意外に思われるかもしれないが、
うちの夫は筋金入りの知育嫌い。ついでに育児書も嫌い。
知育嫌いだからといって、教育に興味がないわけではない。
むしろありすぎる。
絵本の読み聞かせは私よりも力を入れているし、
公園遊びにも余念がない。
知育?? 知らん!子育ては俺流!!
という昭和の頑固オヤジを具現化したような男である。
だからこそ、私と意見が対立するし、
教育に関しての足並みはあまり揃っていない。
息子の興味を広げることを重視している点については同じだが、
日々の遊びに関しては全く違う。
とにかく子どもは外で遊ぶ!!身体を動かす!!おもちゃは使わん!モンテッソーリ?どうでもいい!
というタイプ。
私が体力ない人間なので、外遊び担当してくれることは非常にありがたい。
その代わり夫は身体を動かす以外の遊びが苦手で、
レゴや工作、積み木などは一切やらない。(私担当)
息子が2歳くらいの時、知育おもちゃや
知育的な取り組みに全く興味を示さなかった様子を見て
(息子にとって)知育っておもんないねん
と吐き捨て、息子を連れて公園に行って3時間帰ってこなかった。
(悔しいが【知育遊び】が苦手な息子に関してはその通りではある)
ある意味お互いの足りないところを補っているのだが、
とにかく息子の好きな事をめいっぱい!
嫌なことは無理にはさせない!
という私に対し、
息子を強く育てる! 根性鍛える!!
しんどいこともさせる!!!
と夫。
それぞれ譲れない主張を持っている私達ゆえ、
教育観について対立するのは常だった。
もちろん今回のスイミングに関してもそれは例外ではない。
もうスイミングやらせたくない。泣くほど嫌やねんで?かわいそう
甘えてるだけなんやて。騙されたらあかん。
俺の前ではそんなん言わんもん
※ちなみに夫も毎週スイミングの見学に行っている
これで息子が病んだりしたらどうするん!
と言うと……
あのな、毎日ちゃうねんで?
1週間に1回、たった45分。
ちょっとしんどいことやったからってそれが何やねん。
そんなことでメンタル崩壊とかならんから。
ほんま情報に毒されすぎ。
やりたいことだけさせるって、じゃあそれいつまで続けんねん。
好きなこと以外何もできんやつになるやろ。
何でも肯定したらええってもんちゃうで。
息子を弱くしたいんか?
最初に言っておくが、いつも夫に対してすんなり納得する私では決してない。
というか多分、納得したことない。(おい)
だけどこの時は、なぜか「あ……」と思った。
確かに、1週間に1回、たった1時間弱の練習。
それもスパルタでも何でもない、水遊びの延長みたいな練習内容。
終わったあとはニッコニコで好きなおやつを選んで公園で食べてるし
何よりそれ以外の時間は息子の好きなことに費やしている。
それで心が病むかもしれないなんて、
どうして言えたのだろう。
夫は帰宅後、息子と話した。
怒ったりするわけでもなく、淡々と。
息子さ、昨日パパと自転車で水泳行くって約束したやん。
最近顔付けもできるようになったし、頑張ってるやろ?
うん
せっかく色々できるようになってきたのに今辞めたら勿体ないで
うん
水泳終わったあとシュークリームも食べるんやろ?
行こうや。
うん
拍子抜けするほどあっさりした話し合いだった。
その後息子は、普通に着替えて普通に家を出た。
夫のことが怖くて言うことを聞いているだけなんじゃないかと
心配する人もいると思う。
が、それはない。
息子が恐れているのは、夫より私のほう。
夫のことは完全に舐めている。(それはそれで)
思えば息子が「水泳こわい」というのは
私の前でだけだった。(ということにその時気付く)
後日、
ママ……幼稚園行きたくない……こわい
と言うので
……ママ気付いてもうてん。
息子くんってさぁ、パパの前では幼稚園も水泳も「行きたくない」って言わんよねぇ。
ママの前だけやんなぁ?
え~……うん~(笑ってる)
もしかして甘えてるだけだったりして……?
息子は「え~? うん~そう~(笑)」と言いながら笑ってどっか行った。
あぁ、今まで私が
「共感しなきゃ! 気持ちに寄り添わなきゃ!」
と思ってやってきた対応が、息子の甘えを加速させてしまっていたんだなと。
もちろん、甘えられる環境は大切なのでこのまま引き続き甘えてもらっていいのだけど
それを全て鵜呑みにしていたことは私自身の反省である。
スイミング始めてから1年後の現在
そんなこんなでスイミングを始めて1年が過ぎた。
今ではというと、「行きたくない」と言うこともなくなり
スイミングで習ったことを家でも披露してくれる。
マイペースなのは変わらないが、息子なりに頑張っている。
スイミングはひたすらに己との戦いで、誰かと競い合うものではないというのも息子に合っていた。
下の子出産以来、しばらく送り迎えは夫が一人でしていた。
先日3カ月ぶりに見学に行ったら、以前できなかったことや
怖がっていたことができるようになっていてびっくりした。
そんな様子を見ているとあの時続けてくれて良かったと心から思う。
後に説明するが、私は成長のラーニングゾーンというものを分かっていなかった。
ただ額面通り息子の言葉を受け取り、
「嫌ならやらなくていい」
「辞めさせてあげなければ」
と思い込んで息子が壁を乗り越える機会を奪おうとしていた。
0~3歳はとことん好きなことを
個人的には3歳くらいまでは「嫌ならしなくていい」スタイルは賛成。
知的好奇心の土台はこの時期にこそ作られるし、
この年齢の幼児に無理に我慢強さを覚えさせることは発達段階に合っていないし、
その子の本能的な好奇心を潰してしまう可能性が大いにある。
なので2歳の頃、公文を辞めたことは全く後悔していない。
むしろ英断だったと思っている。
それに今考えても、息子に公文をさせる必要はどこにもなかった。
(興味がある子は別。あくまで息子には)
が、自立心や自己コントロール能力が芽生えてくる4,5歳頃から
徐々に「新しい挑戦」や「ちょっとしんどいけど頑張ればいける」にも
目を向けていくのが妥当ではないか。
※あくまで「徐々に」
小学生になったら、否が応でも「嫌な事」の割合は多くなるのだから。
宿題・授業はその最たる例。
その時、急に
勉強しなきゃダメ
と言われても到底受け入れられるはずがない。
これまでの「好きなことだけしてればいい」から一転、明らかに矛盾している。
現実、人生は「好きなことだけ」ではどうにもならない。
辛い経験からでしか学べないことも大いにある。
実際、幼少期に辛い経験をしたチンパンジーのほうが
大人になってから勇気や行動力が高かったという研究結果も。
(しかし虐待など過度な辛い経験はうって変わってマイナスに働く)
凡人にこそ「根性」は必要と考える
誰しも
うちの子は天才ではないか。
と思ったことがあると思う。
しかし多くの成人がそうであるように、
多くの子どももまた、凡人である。それ自体は悪いことでは全くない。
人間はIQ100前後が平均で、最も生きやすい。
100を大幅に超えてくると、例えば共感性が低かったり、
相手が不快に思う言葉選びをしてしまうなど
今度はコミュニケーション能力に弊害が出てくることも少なくないようで。
よく「我が子のIQを上げるには!」みたいな情報もあるけど、
個人的には
IQを上げようと躍起になる必要ないと思っている。
理由は二つあって、
一つは知能指数の6割以上が遺伝で、
歳を取るごとに遺伝の影響が大きくなってくる
ということが既に分かってる。
(安藤寿康名誉教授)
※ちなみに知能の遺伝の影響は年齢と共に20歳くらいまで上がり続けその後は横ばいになる。
結局幼少期にいくら先取教育をして成果が出たように見えても、幼少期は環境の影響が大きいだけであって結局は遺伝に落ち着いていく。
【発達が早いこと】と【知能】はイコールではない。
余談だけど、先進国では遺伝率そのものが上がっていて、1940年以前に生まれた男女では遺伝の影響が41%だったのに対し、その後生まれた男女は遺伝が67〜74%まで上がった。
つまり誰もが教育を受けられる世の中になってくると環境による差が縮まり遺伝的要素が色濃く出るようになった。
【参考:『運は遺伝する 行動遺伝学が教える「成功法則」』第2章 より】
自分や我が子に特別な能力がなくても、
なんら悲観することはない。
特別な才能や、能力や高い知能指数がなくたって、
凡人には凡人の成功の掴み方がある。
しかしそれには天才以上に「やり抜く力」「根性」が必要不可欠。
IQを上げようと躍起になるよりそっちを鍛えてあげるほうが
よっぽど生きやすくなると私は考える。
・ここぞ!という時に力を出したい時、
・何か辛いことがあってそれでも立ち上がらなければいけない時
特別な能力を持たない平均的な人間が最終頼れるものと言えば
己の根性や、折れない心の強さなのではないか。
とはいえ逃げてもいい状況は存在する
こんなことを書いていると、
「さいとう家は子どもの不登校を許さないタイプなんじゃないか」
「引きずってでも登校させるんじゃ」
と思われるかもしれないが、
一方で私達には
「別に学校なんて行けないなら行かなくても良い」という共通認識もある。
合わないことだらけの我々夫婦だが、
ここの価値観がマッチしているのは奇跡と言っても過言ではない。
学校に行けるか行けないかは、原因も様々で、もっと複雑。
だから今現在学校に行けない子ども達に対して
「根性がない」などとは全く思わないし、「甘え」だとかそんな単純な問題ではない。
1週間に45分だけのスイミングとは違い、
毎日通う場所が恐怖の対象なのは、想像絶する苦痛。
息子も特性的に「学校行きたくない」というタイプなので
そこの覚悟はある程度している。
我が子の成長段階を知る
我が子の成長に欠かせないのが、先にちらっと書いたけど
ラーニングゾーンという心的概念。
成長には段階があり、
・恐れの領域(フィアーゾーン)
・学びの領域(ラーニングゾーン)
・成長の領域(グロウスゾーン)
これらを正しく踏み、我が子が今どの段階にいるかを認識できると楽!
が!
それとは別に「パニックゾーン」と呼ばれる段階がある。
心的負荷やストレスがかかりすぎてしまい、
本人の成長を止めてしまっている状態。
そうなったら根性とか言ってられん! 今すぐ逃げよう!
不登校もそう。キャパオーバーしている状態なので、
その場合は「パニックゾーン」に入ってしまっている可能性がある。
身体的・精神的に害を及ぼす危険なメンタル状態なのでご注意!
自分の子どもが今どの段階にいるかは日頃の観察と
何気ない会話から確認し、
時には見守り、時には励まし、
時には逃げ道を用意してあげることも必要。
https://ikujiotaku.com/エビデンス子育て/ra-ninguzo-n
結論:どちらも取り入れればいい
【自主性や創造性を伸ばす為に好きな事をさせる】
これも真理なのには間違いない。
好きなことにとことん没頭する時間も、
しんどいこと、嫌だなと思うことにも挑戦させる経験も
比率は家庭によるけれど、どちらも大切。
(ちなみに我が家の場合、息子5歳の時点で、その比率は【8対2】くらい)
要は何事もバランス!!
筋トレのように少しずつ、少しずつ、「嫌なこと」の負荷をかけ
どんなことにも対応できるしなやかな心を育てていこうと思う。
まとめ
何が言いたかったかと言うと、
言葉に囚われないようにしよう。
「好きな事にとことん没頭すること」
が、
「嫌なことはやらなくていい」
に、いつの間にかすり替わってしまっていたけど、
この二つは決してイコールではないのだと思う。
好きなことをとことんやったほうがいい】
この言葉を拡大解釈し、めんどくささから逃げる言い訳にしてしまった。
そう、ぶっちゃけ我慢強さや根性を育てるって、かなりめんどくさいのだ。
今回のスイミングでもそうだが、
何かを頑張らせるというのはこちら側にもとてつもない心的負担がかかる。
その最たる例が中学受験だと思っているが、もう皆さんほんとすごい……。想像を絶する。
育児書やネットには情報が無限にあるけれど、
その中から人は無意識のうちに自分に都合の良い情報を選んで脳に入れている。
色んな意見を取り入れているようで、
実は偏っていることは珍しくない。
例に漏れず私もそういうところがあった。
言葉に囚われて本質的なことや、息子の本心みたいなものを見えなくしてしまっていた。
それも今回大いに反省した点である。
今まで夫婦の教育の価値観が違うことにうんざりしていた。
が、異なる教育観を持った者同士だからぶつかり合うけど、
だからこそ新たな発見もあるのだなと再確認できたことは大きな収穫だった。
どちらかが暴走しかけていたら、どちらかがストッパーになる。
これは価値観が違うからこそかもしれない。
私は度々ブログやインスタで自分の教育観について語る事があるけれど、
中には共感できないこともきっとあると思う。
とても自然なことである。
私もフォロワーさんからのDMによって新たな気付きを得ることは山ほどあるし
場合によってもは自分の考えを180度変えることだってザラにあるので!
これからも色々と「私はこう思う」っていうのをディベートし合えたら嬉しい!
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