ワークショップで万引きされた話

マルシェでいろんな地域に行くようになって早半年以上が経とうとしています。

 

以前、あるマルシェでいつも通り子ども向けのワークショップをしたのだけど
そこは以前から治安が悪いと言われていた地域で、
他の地域では一切起きなかった万引きが起きた。

まさかワークショップで万引きされるなんて思っていなかったけど、

盗まれたのはゲームの景品の駄菓子である。
それも大量に。段ボールに入れていた在庫がごっそりいかれていた。

それに気付いたのは、マルシェの途中。

(あれ? いつの間にこんなにお菓子なくなったんだろう…)

と思ったが、忙しかったのでスルーしていた。
相方にも「お菓子こんなに出た?」と聞かれたけど、

「う・・・ん、出たかな?」

と、その時は万引きされているなんて考えてもいなかったので
曖昧な返事をした。

そしてマルシェも終わり、片付けをしている最中のことである。

小学生4,5人が私たちの近くに溜まっていたのだけど、

相方が食べかけで置いていたポップコーンの容器がうっかり倒れてしまい、

地面にポップコーンが思いっきり散らばった。

その瞬間、小学生達がわっと一斉に集まってきて、
なんとアスファルトに落ちたポップコーンを拾って食べ始めたのである。

私はただただその光景の異様さにあっけに取られていたのだけど
相方はすぐにその子達を静止した。

「食べんほうがええで! お腹壊すかもしれんし!」

小学生たちはそれでも食べるのを辞めなかった。
大丈夫大丈夫!と言って、地面のポップコーンを食べ続けた。

何度目かの注意でやっとやめてくれて、ポップコーンは片付けたけど、

問題はさらに次の日である。

 

 

相方は実はそのマルシェの近くにある子ども食堂で働いている。
朝出勤したら、店の前にラムネのようなものがいくつもばら撒かれていた。

向かいの店に聞くと、除草剤だということが分かり、特に気にせず出勤準備をしていると
店からガラス越しに、昨日ポップコーンを拾い食いしていた小学生グループの中の
1人の女の子が、

なんとその除草剤を拾って食べていたのだ。

すぐに外に出て

「これ食べた!?」

と聞いたら「食べてない」と答える。

 

「いや怒ってるとかじゃないねん。ただこれお薬やからさ、もし食べてたらお腹痛くなっちゃうかもしれんから。そうなったらお母さんに病院連れて行ってもらわなかあかんからな。ほんまのこと言って」

「食べてない」

結局食べてないの一点張りで、逃げてしまったそう。

私はあとから知ったのだけど、その子はその地域で有名なネグレクト家庭の子だそうで、

確かにその子達がワークショップに来たときに
その女の子の見た目に驚いた。
髪はボサボサ、顔も身体も薄黒く汚れていたから

これはただごとじゃないぞと。(他の子は普通)

子ども食堂は、子どもは無料でご飯が食べられるから
その子もよく来るのだそう。
ほんと、そういった家庭の子のライフラインになっているんだなと実感。

そして前述の万引きの件も、その小学生グループの仕業だった。

気付いたのは同じマルシェに出店していた向かいの店の方で、
あとからLINEで教えてくれた。

相方は

「やっぱやられてたか。一応警戒してたんやけど忙しかったからな。
この辺の子ども、食堂のレジ金も盗ったりするから」

あまりにも修羅。

 

話せば良い子達である。素直なところもある。
はっきり言うけど親が悪い。

ちなみにその女の子に関しては何度も通報されているし
色んな大人が介入し、一応地域の目も届いているし
親とは別によく面倒を見てくれる特定の大人もいるそう。

そういったことの経緯は、当時18歳だったその子のお姉さんが
家庭内の虐待で自死していることにある。(詳しくは伏せる)

こんな悲しい被害が表沙汰になっている家庭でも、
親が残りの子どもの保護を拒否すれば、児相は動けないらしい…。

「放置子」

私が団地に住んでいた子どもの頃も、似たような子がいた。

大抵の家庭はほどほどに満たされていて命を脅かされる事もなく、夜家に帰れば眠る場所がある。

だけど、その普通の基準から溢れてしまう子は少なくない。

私がまだ7歳かそこらだった頃、同じ団地に5歳と2歳の兄妹がいた。

兄はいわゆる放置子だった。
ユウマという名前で、(妹は忘れた)
夜遅くに一人で歩いている姿が度々目撃されていた。

ユウマは5歳で、まだオムツを履いていて、
ユウマの家のベランダには汚れたオムツが大量に放置されていたから

「おむつから大量の虫が沸いて、隣の家が苦情を言っている」
「2歳の妹は夜オムツ一枚で外に放置されていた」

なんていう大人同士の噂話もよく覚えている。

母はユウマを見かけると、そのまま家に連れて帰ってご飯を与えていた。
うちに泊まったこともある。

家のアルバムにもユウマと撮った写真が何枚か残っている。
私の5つ上の兄は「ユウマユウマ」と、とても可愛がり、
私もユウマを可愛い男の子だったと記憶している。

だけどユウマはほぼ喋らなかった。

喋っている姿を全くも出せないどころか、笑った顔も泣いた顔も思い出せない。
いつも無表情で、静かな子だった。

ユウマには土足でうちの家庭の中に入ってくる図々しさはなかった。
5歳だったけど大きな赤ちゃんのようだったから。

 

母は時々、同じ団地の主婦仲間を引き連れてユウマの家に行っていた。

私はお気に入りのピンクの自転車に乗り、母たちに着いて行って

「ちゃんと子供を見ないかん」

とユウマの親に説教している姿を見ていた。

背の高いひょろっとした男がドアから半身を出して、
「俺らも分かってる」などとなんとか言っていたけど、
心底めんどくさそうに対応していた記憶がある。

 

ユウマは程なくして引っ越してしまった。そこからどうしているか分からない。

 

私にとってネグレクト(放置子)といえば思い出すのはユウマである。
彼は誰がどう見ても、守られるべき存在であった。

 

放置子、という言葉で切り捨てられる子供たちは、元来被害者のはずである。

放置子問題は根深い。
自他境界線が分からない子どもが多いので
一度受け入れると日常生活に支障が出るほど家庭の中に入り込んできたりなど
度々トラブルになっているのもよく聞く。

なので、家に招いて夕飯を食わせろとは言わない。

でももし身近にそんな子を見かけたら、
そしてその子が自分にある種のSOSを発信してきたら、
私はどうしたらいいんだろうかと考えている。

 

ユウマ一家が引っ越した経緯は分からないけれど、結局救えなかったのだから
母のやり方は間違っていたのかもしれない。

それでも、あの時代の、あの瞬間に、
「目撃者」の大人の一人として、できる限りのことをしたのだと私は思う。

なんせ当時は「虐待」という言葉や概念自体がまだ社会的に一般化して家庭内のおらず
しつけとして見過ごされがちだった。

ましてや児相に通報するとか、ネグレクトなどの言葉すらない30年前の話。

 

私が寄贈活動をしたいと思ったのも、それが今の私にできる範囲のことだからに他ならない。
原体験とかいうかきっかけはおそらく当時の母にある。

 

子どもが辛い目に合うニュースは見ていられない。
いざというとき、動くことに躊躇してしまうかもしれないけど、

虐待かどうかを判断するのは私たちではなくて児相なので
私たちは少しでもおかしいことがあればガンガン通報していこうと言いたい。

こんなこと言うと「虐待を疑われるのが辛い」という方もいるかもしれないけど

世の中のすべての人に配慮するのは無理

と割り切ることも必要。
命を守れるかどうかの話なので。

なんだか重くなってしまったけど、

他所はよそ、なんて言わずに
自分も地域の大人の一人ということを自覚して
みんなでこどもを守っていかないといけない。

ポップコーンが落ちた瞬間
わっと集まってきた子ども達の姿は、
不謹慎にも公園の鳩を彷彿とさせた。

必死で拾っては食べ、拾っては食べる。

あの瞬間の異様とも言える光景は、
このコ達がどうか安全に育つために
私がここでできることはなんだろうと強く思わされた。

結局アトリエも、親主体である。

そもそも親がそういうことに興味がないと、私達の活動は子どもにまで届かない。

今は資金的にも時間的にも厳しいけれど、
子ども食堂のように誰もが来れる場所を作りたいけど、それに本当に意味があるのかとか。

答えはまだ出ていない。

この記事を書いた人
さいとう

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