「自己肯定感」はもはや商業利用されている
最近、どこもかしこも自己肯定感、自己肯定感。
こどもの自己肯定感が下がるから◯◯はしちゃダメなど
自己肯定感を縦に色んなことが制限されている。
結果、我が子なのに怒れない状態であったりとか
叱ることに罪悪感を持ってしまったりだとか
それってどうなん、どないなん。
と前から思っていた。
「自己肯定感が高くなる習い事!」とか
冷静に考えると「いや関係ないよね」と思うのだけど、
冒頭についた「自己肯定感が上がる(or下がる)」は、令和の親が大好物のキラーワードである。
自己肯定感の本来の意味
日本において「自己肯定感」という概念を最初に提唱したのは、
臨床心理学者の高垣忠一郎氏。(立命館大学名誉教授)
不登校や引きこもりに悩む子どもたちや親とのカウンセリングを行う中で、
「何かができるから自分に価値がある」
という条件付きの自己評価の弊害を痛感したそうで、
「成果や能力に関係なく、自分の存在そのものを認める感覚」
を表す日本語として「自己肯定感」という言葉を作ったそう。めっちゃ省略したな。
「別に理由とかないけどなんか自分好き」
くらいの感じである。
「何かができるわけじゃないし、失敗もするけど、まあこれが自分だしな」
と受け入れている状態。
ただ、SNSの普及とマーケティングや自己啓発本との相性が良すぎたため
「自己肯定感を高める5つの習慣」
「これをやると自己肯定感が下がる」
といったキャッチーな言葉で、
人の不安を煽ってコンテンツを消費させる(買わせる)ための
実態のない魔法の言葉の言葉になってしまった。
人は自分に対する不足感を感じている時ほど購買行動を起こしやすくなる。
私も今、アンチエイジングに対する不足感をめちゃくちゃ感じてるから、
そりゃもうナイアシンアミド・レチノール・セラミド・トラネキサム酸…
そんなことばっかり調べてますよ。呪文かな?
(そしてポチる)
だからビジネス利用される自己肯定感もそれと同じで
「自己肯定感が低い=改善すべき問題」
と前提条件を作ることで、人はお金を払うという構造が出来上がる!!
あと個人的にモヤるのが、
たとえば虐待や貧困・いじめなどの経験から生きづらさを感じている人に
「自己肯定感を高めよう」
はあまりにも無神経ではないか。
脳や社会の構造的な問題まで自己責任論として
すべてを個人の内面の問題にすり替えてしまう危険性があるなぁと。
「いつも高い」を目指さなくて良い
で、ここからがポイントなんだけど、
自己肯定感には波がある。
これを自覚しておかないと、
「あぁぁぁ自己肯定感が低いからダメだ…」

となってしまう。
違う、そうじゃない。
低い日もあれば、高い日もある。
変動して当たり前のもの。
いつでもポジティブでいないと!
自己肯定感高くもっていないと!!

というのは土台無理な話で、
そうなってくると
「自己肯定感が高い自分」しか好きになれないというこれまた条件付きの「好き」になってしまう。
だからもう、
自己肯定感を高めようとか思わないほうが
自己肯定感って生まれるんじゃ?

などと想うわけです。
あとこれは親野智可等さんがおっしゃってたのだけど
「人はいつ自己肯定感が下がるのか?」というタイミングについて、
他の子と比べてあれができない、これが苦手、など意識するようになるので
そのタイミングで自己肯定感が下がる子が多い。

(親野智可等さんは好きですよ)冷静に考えるとこういうの人生においてすごく当たり前のありふれたことだし、
「こういう声かけをして落ち込まないようにしないと!」とか
「まあ、ダメなところもあるけど自分は自分でやっていくしかないよね」
という静かな諦めと納得できるラインを自分の中で見つけていくのほうが
よっぽど生きやすくなるのではないか。
自己肯定感より必要なもの
が、あるとすれば
それは「セルフコンパッション」ではないかと私は考える。
言うなれば、

「自分を甘やかす」ことや「ネガティブを無理に消す」ことではなく、
辛い状況にある自分を客観的に認識し、
基本的には3つの要素で構成されています。
失敗や痛みに直面した時、自分を激しく責めたり批判したりするのではなく、理解と温かさをもって自分に接すること。
「失敗や苦しみ、不完全さは自分だけの問題ではなく、人間である以上誰もが経験する共通のもの」と捉えること。

自分のネガティブな感情や思考を過剰にドラマチックに捉えず(過剰同一化せず)、抑圧もせず、ただ「いま辛いと感じているな」と客観的かつバランスよく観察すること。
自己肯定感の低さを活かす生き方もある
「自己肯定感を高く保たなければならない」
という強い脅迫観念が生まれ、
それがかえって自分や子を追い詰める
自己肯定感の呪縛に陥る人が増えてもおかしくないのではないかと。
「一度でも我に頭をさげさせし 男みな死ねと いのりてしこと」
(自分を見下した奴らは全員死ね)
とか言うてネガティブを金に変えていた石川啄木のような人もいるのだから、
自己肯定感が低いこともそう悪いことではない。
まぁ評価されたの死後だけど。
だからもう自己肯定感とか気にするの一旦辞めよ!!!!
他人に劣等感抱くのとか普通のことなんで!
むしろそういう気持ちが生まれるから努力したり、
他人の痛みが分かったりするわけだから。
そりゃあ自分を大切に想う気持ちは持ってほしいよ。
でもだから「こういう声かけが必要」とか
「こんな体験をさせる」とか。
自己肯定感ビジネスに振り回されるのはいかがなものか。
でも仮にこれが「自分の自己肯定感を上げたい!」なら
全然良いですやっちゃって下さいって感じなんですけれども、
自分の自己肯定感すら脆弱なのに
子どもの自己肯定感のことまで気にするのやめれる????
小さい頃はオーガニックばっか与えてたのに
10代になったら友だちとマックばっか食べてるみたいなことが
全然、全然起きるからね子育てって。
私も小さい頃は健康のためにミキプルーンばっかり飲まされてたけど
1人暮らし始めたら普通に3食コンビニ弁当で健康貯金使い果たしたから←
自己肯定感も例外じゃない。
「怒らない」「否定しない」とかいくら親が幼少期に頑張っても
思春期になったらハイ、SNSだなんだとこの大ルッキズム全盛期なわけで
恋愛したらなんか意味不明に
「あぁ私も森香澄みたいな顔面だったら上手くいってたかもしれないのに」
とか自動的にメンヘラ発動して
自己肯定感とか地の果てまで落ちていくわけなので。誰でも一旦は。
そこから這い上がるかどうかは自己肯定感というより
レジリエンスの出番ですよね。
だから落ちていい。
自己肯定感は落ちていい。
あとさ(しつこい)
みんなが自己肯定感高かったら、この世に小説もポエムも生まれてないわけです。
だって自己肯定感高い人のポエムって
なんか面白いですか!!!?????

人って自分の中の黒いもやもやを誰かが言語化してくれたときに
共感を抱く生き物じゃないですか。救われるじゃないですか。
それにはちょっと世の中を斜めに見るような繊細さが必要で
「今日も私って最高!!!」
みたいなことばっかつぶやかれても…何がどう誰の心を打つのかと。
私の好きな作家のLilyとか、女の嫌なところ全部詰め込んだみたいな
文章が大好きで(Lilyはきっとそんな人ではないけど少なくともそういう要素がないとあの絶妙に嫌な感じは言語化できない)
そういうのってただ自己肯定感が高いポジティブな人には書けないと思うんですね。

というわけで将来物書き・脚本家etc…になりたい子は
ぜひともネガティブを磨こう、あとそろそろ黙りますね
「声掛け」はそこまで子どもに影響しないかもしれない
最後に、avexの創業者兼会長の松浦勝人さんも、
もともと厳しい父親に育てられ、なんの期待にも答えられず
劣等感の塊で、いつも俯きながら校門をくぐってたそうなんですよ。
本人曰く「自己肯定感が低い人間」だそうです。
それについて書いた松浦会長のnoteを発見したのでぜひ読んで欲しい。
今は「自己肯定感が大事」という価値観デフォルトなので、
それに反する意見ってほぼ見ないよね。
育児界隈でも、ビジネスでも
「自己肯定感が低いとこんなマイナスなことがある」
という価値観が刷り込まれているので
自己肯定感は上げなければいけないものとして捉えている。
でも世間で言われている当たり前を、少しだけ疑うことも必要なんじゃないか。
松浦会長のnoteで、私が特に納得したのがこれです。
自分への点数と、人生への点数は、別につけていい。
この2つを同じものだと思っている人が多い。違う。俺は大したやつじゃない。それでも、この人生を誰かのものと取り替えたいと思ったことは一度もない。低い点数をつけたまま、その人生を気に入っていていい。
これめっちゃ分かって、
私も同じで自己評価は鬼低いんですけど、
じゃあ誰かの人生と取り替えるかと言われたらそれは絶対嫌なんですね。
生まれ変わっても自分がいい。
は~~~~~~~
分かるよ会長~~~~~!!(誰)
あとnoteを読んでいて気付いたのが、
声掛けよりはるかに大切なのが、
その人の親がどんな背中を見せてきたか
ってことなんだろうなと。
松浦勝人さんが成功した要因ってそこにあるんじゃないかと。
自己肯定感が低かろうが高かろうが、
親がやっていること、親の遺伝、結局そこが結構な割合を占めていて、
親である自分の思想やリテラシーを磨くほうが
多分表面的な声掛けよりも子どもの人生に影響を与える。
良くも悪くも。

ちなみにダイソーの創業者の矢野博丈さんもネガティブで有名
なのでもうちょっとみなさん、肩の力を抜きましょう。
あんな声かけしちゃった…
怒ってしまった…
大丈夫。
そんな影響してない。
自己肯定感が絶対下がらないとは言ってない。
下がることも全然あると思う。
でもだからと言って大きく人生を外れるというわけでもなく、
下がったら下がったなりに結局進むべき道に進む、ということ。
それは自分自身の人生を振り返ってもそう思う。
親がめっちゃ自己肯定感高く育ててくれていたとしても、
結局今の自分と大して変わらなかった気がする。
それは親から受ける影響と同じくらい、外部からも影響を受けているから。
うちも最近、息子が忘れ物してせっかくお出かけしてたけど
何もせずに炎天下の中歩いて帰るという事件がありました。
ほんとに普段から落とし物、忘れ物が多すぎて
めちゃくちゃ怒ったんですね。
その時はシュンとなってたんですけど
数時間後には

でもママのダイエットになったから良かったね!
と曇りなきまなこで言われたからもう完敗。
ママはいいと思うよ、素敵だよ。そういうところ。
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